2017年02月17日

言葉は社会的なものである

言葉は社会的なものである。

誰もいないところで独り言を言うのなら何をどのように言おうがかまわないが、他人と話をする場合は、自分勝手な言葉の使い方をしないように気をつけなければならない。そうしなければ、まともな人とは思ってもらえなくなる。

簡単な例を挙げよう。

例えば、「私は東京大学出身です」と言う人がいたとしよう。しかし、実際は在京のN大学出身だったとする。なぜ嘘をついたのかと問いただすと、「私は『東京大学』を『東京の大学』という意味で使っています。ですから私の定義では私の出身大学は東京大学なのです。嘘などついていません」と答えたら、あなたはその人をまともな人だと思うだろうか? 私なら、その一回のやりとりだけで、すぐにその人とは距離を置くだろう。とてもまともな人とは思えないからだ。

このように言葉というものは一般社会で通用する意味で使うものであり、自分勝手な意味で使うためのものではない。自分勝手な意味で使うのが許されるのは、独り言を言うときくらいだろう。

上記の例は架空の例だが、今回の清水富美加氏の芸能界引退に際しての言葉使いは上記の例と同じくらい私には理解しがたい。

彼女は「出家する」ために契約満了を待たずに事務所を一方的に辞めた。撮影途中の映画があるのにもかかわらず…。

しかし、彼女は「出家する」とは言うものの、家族を捨てるわけでもなく、家族との連絡を断ち切るわけでもなく、教団施設に入るわけでも寺に入るわけでもなく、ましてや坊主になるわけでもなく、いままで通り自宅に住んでいるわけである。それは一般社会でいうところの「出家」ではない。

幸福の科学は「出家」と「在家」の違いついて「出家者となると(1日)24時間プロの修行者として救済にあたる」と述べているが、これもまた一般社会では通じない発言である。

報道によれば、幸福の科学は後に「出家」の意味を「幸福の科学の職員になること」だと述べたとされているが、それならばそれで最初から「出家」などという言葉は使わずに「幸福の科学の職員になる」と言うべきだろう。

幸福の科学は「清水氏は命にかかわる危険な状態だったから突然事務所を辞めた」などといっているが、病名は明かしていない。

このようなことがあると、幸福の科学のいう「命にかかわる危険な状態」というのも、一般社会でいうところの「命にかかわる危険な状態」のことなのか、それとも幸福の科学内部でしか通用しない意味における「命にかかわる危険な状態」のことなのか判断できなくなる。

また幸福の科学は「ドクターストップがかかった」と言っているが、それが一般社会でいうところの「ドクターストップ」なのか、それとも単に医者が「疲れたときはちょっと休んだほうがいいですね」ていどに言った言葉を「ドクターストップがかかった」と定義しているのか判断できない。

清水氏は過去に出したエッセー集で自らを「ぺふぺふ病にかかっている」と述べたらしいが、まさか今回事務所を突然辞める理由が「ぺふぺふ病にかかったから」ではないだろう。本当に「命にかかわる危険な状態」だというのなら病名くらいはきちんと事務所に報告すべきだろう。

もう一度いうが、言葉とは社会的なものである。自分勝手な意味で使っていいものではない。あくまで一般社会で通用する意味で使うべきである。それが社会のルールである。自分勝手な意味で使うことは、それ自体ルール違反だ。
posted by AoyamaKeio at 11:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

日本人なら日本語を正しく使わないと…

今や日本を代表する女優といってもいい清水富美加氏が突然、宗教法人の幸福の科学に「出家」すると言い出して、撮影中の映画もあるというのに、いきなり事務所をやめ、連絡すら取れなくなっているという。

彼女は幸福の科学に「出家」するという。

これに対し、多くの芸能人は、出家するのなら出家してもかまわないが、他人に迷惑がかかるような辞め方はまずいという論調で批判している。

それはそうだ。撮影中の映画を「出家するから」といって投げ出されたら、途中まで撮っていたものが宙に浮く。共演者にどれほど迷惑がかかることか。非難されても仕方がないだろう。

ところで「出家」とは一体何だろうか。

ブリタニカ国際大百科事典によれば、「出家」とは「家庭における日常生活を求道、修行の妨げになるとして、家庭生活を捨て、修行に最も適すると思われる環境に入って、修行に没頭すること」である。

ところが報道によれば、「出家」とはいいながらも、教団の施設に入るわけでもなく、どこかに引っ越しをするわけでもないらしい。今住んでいるところに住んだまま「出家」するのだという。それならば今までと何の変わりもないではないか。

肉体的には「出家」しないが、気持ちの上では「出家」した気分で頑張るというのなら、そういうふうに言わなければ、日本語としては不正確だ。

私はこういう風に、一般社会で使われている定義とは異なる自分独自の定義で日本語を使う人は注意することにしている。

ところで「出家」の反対語は「在家」であるが、その違いについて、幸福の科学はこんなことを言っている。

「出家者となると(1日)24時間プロの修行者として救済にあたる」

この日本語も不正確だ。いや、これは日本語の問題というより、根本からしておかしい。

眠らなくても生きていける人間はいない。その他、食べる時間、入浴の時間、トイレの時間などは人間が生きていく上で必須である。1日24時間を他人を救済することが可能な人間は一人としていない。物理的に不可能だ。

物理的な意味としてではなく、単なる意気込みとしていうのなら、それが分かるような言い方をしなければ日本語として通じない。

こういう風に、一般社会で使われている定義とは異なる自分独自の定義で日本語を使う人は気をつけたほうがいいと思う。というのも、何かトラブルがあったときに、こういう人たちは、必ずといっていいほど、「あれはそういう意味ではなかった」とか、「それはあなたの勝手な誤解だ」ということを言い出すからだ。

外国語学習もいいが、日本人にとっては日本語が一番重要だ。
posted by AoyamaKeio at 17:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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